子どもの自殺が増えている。
この言葉を見ただけで、胸が苦しくなる人も多いと思います。
どうして気づけなかったんだろう。
親として、何ができるんだろう。
学校や家庭は、どこまで関わればいいんだろう。
そんなふうに考えるのは、ごく自然なことです。
ただ私は、子どもの自殺を子ども本人だけの問題として考えるのは、やっぱり無理があると思っています。
子どもは、子どもだけで生きているわけではありません。家庭の空気の中で生きていて、学校の空気の中でも生きていて、地域やSNS、経済状況、親の不安、周囲の大人の価値観の中でも生きている。
だから今必要なのは、子どもをどう変えるかだけじゃない。子どもを取り巻く大人が、どれだけ本音で生きられているか。感情を無かったことにせず扱えているか。 そこも含めて見直すことなんじゃないか。私はそう感じています。
この記事では、子どもの自殺が高止まりしている今、家庭で何を見直したいのか、大人の感情の扱い方と関係性の土台という視点から整理します。
※今この瞬間に、自分やお子さんの命の危険を感じる場合
この記事を読み進めるより先に、身近な人、学校、医療機関、地域の相談窓口、緊急時は119・110などに連絡してください。
厚生労働省の「まもろうよ こころ」では、電話相談、SNS相談、子ども向けの相談窓口が案内されています。チャイルドライン、24時間子供SOSダイヤル、子どもの人権110番なども掲載されています。厚生労働省「まもろうよ こころ」
子どもの自殺は、いま何が起きているのか
まず、事実から見ておきたいです。
厚生労働省・警察庁が公表している「令和7年中における自殺の状況」では、令和7年の自殺者数は19,188人で、前年より1,132人減少しました。一方で、19歳以下は増加しています。さらに、学生・生徒等のうち小中高生の自殺者数は538人で、前年より9人増え、統計のある1980年以降で最多となりました。厚生労働省「自殺の統計:各年の状況」

全体の数字だけ見れば、減っています。
でも、子どもたちの数字はそうではない。
ここは、「全体が減ってよかったですね」で終われないところです。
むしろ、大人全体の自殺者数が下がっていく一方で、子どもや若い世代の苦しさは、社会の中にそのまま残り続けている。そんなふうにも見えます。
まず誤解したくないこと
自殺は、本人の弱さで説明できるものではありません。
令和7年版自殺対策白書でも、自殺は個人の問題としてだけではなく、広く社会の問題として認識されるようになったことが示されています。白書では、若者の自殺をめぐる状況に加えて、電話やSNSを活用した相談事業も特集されています。厚生労働省「令和7年版自殺対策白書」
失業、倒産、多重債務、長時間労働、孤立、心身の不調。そういうものが重なって、人は追い込まれていく。
子どもの場合も同じです。学校のことだけ、性格の問題だけ、家庭の問題だけ、では片づかない。いくつもの要因が折り重なっていることがほとんどです。
子どもだけを見ていると、全体像を見誤ることがある

子どもが不登校になる。
朝になるとお腹が痛くなる。
学校の話になると黙る。
急に怒りっぽくなる。
夜眠れない。
無気力になる。
スマホやゲームに逃げているように見える。
こういう姿があると、大人はまず「この子に何が起きているんだろう」と考えます。もちろん、それは大事です。
学校での出来事、友人関係、先生との関係、学習負担、発達特性、睡眠、体調、自律神経の乱れ。そこは丁寧に見たほうがいい。
ただ、子どもだけを見ていても、足りないことがあります。
看護や支援の現場にいると感じるのですが、子どもの不調が、家庭全体の緊張を映していることがあるんですよね。
表に出ているのは子どもの不調でも、背景には家庭全体のしんどさがある
親の過剰な不安。
「普通はこうするべき」という価値観。
周囲と比べる焦り。
夫婦関係の緊張。
仕事のプレッシャー。
生活費や教育費への不安。
親自身の過去の傷つき。
そういうものが家庭の空気として積み重なって、子どもを通して表に出ることがある。これは珍しい話ではありません。
ここで大事なのは、親を責めたいわけではないということです。
むしろ多くの親は、ずっと頑張っています。
ちゃんと育てなきゃ。
学校に行けるようにしなきゃ。
将来困らないようにしなきゃ。
周りに迷惑をかけないようにしなきゃ。
そうやって、かなり無理をしながら家庭を回してきた人も少なくない。
だから、子どもの不調を見たときに必要なのは、「誰が悪いか」を探すことではなく、家庭全体で何が起きているかを構造からみて、見直すことだと思っています。
大人が本音を隠して生きるほど、子どもは息苦しくなる
今、私が特に気になっているのは、大人が本音を隠して生きすぎていることです。

怒ってはいけない。
落ち込んではいけない。
ネガティブに考えてはいけない。
いつも前向きでいなければならない。
親なら不安を見せてはいけない。
支援者なら、いつも落ち着いていなければならない。
こういう空気、かなり強いと思います。
でも、人ってそんなにきれいにはできていません。
不安もあるし、怒りもある。悲しみもあるし、嫉妬だってある。もう無理かもしれない、と思う日もある。
その感情を「持ってはいけないもの」として押し込め続けると、自分の本音が分からなくなっていきます。
本当はしんどいのに、平気なふりをする。
本当は腹が立っているのに、いい親でいようとして飲み込む。
本当は助けてほしいのに、自分で何とかしなきゃと思ってしまう。
この状態は、かなり苦しいです。しかも、その苦しさは言葉にしていなくても、家庭の空気には出る。子どもは、そこを思っている以上に感じ取っています。
自己肯定感や怒らない子育てが、逆に苦しさを深めることもある
自己肯定感を上げる子育て。
怒らない子育て。
ポジティブ思考。
引き寄せの法則。
こうした言葉そのものが悪いわけではありません。助けになる場面もあります。
ただ、本質を外したまま言葉だけが独り歩きすると、逆にしんどくなる。ここは、かなり注意が必要です。
怒らないことより、怒りをどう扱うか
「怒らない子育て」を意識しすぎるあまり、自分の怒りそのものを感じないようにしてしまう人がいます。
でも、怒りは悪者ではありません。
怒りの奥には、悲しみ、不安、分かってほしかった気持ち、限界のサインが隠れていることがあります。
大切なのは、怒りをそのまま子どもにぶつけないこと。でも、怒りそのものを無かったことにするのも違う。
怒りを感じた自分を責めず、その奥に何があるのかを見ること。 そこができると、言葉はかなり変わってきます。
「なんで学校に行けないの」ではなく、
「私は、この子の将来が不安で焦っているんだな」
そう気づけるだけでも、関わり方は変わります。
ポジティブだけでは、子どものレジリエンスは育ちにくい
子どもに前向きでいてほしい。
自信を持ってほしい。
人生を楽しんでほしい。
その気持ちは、とても自然です。
ただ、つらいと言ったときに前向きな言葉だけが返ってくる。怖いと言ったときに、すぐ「大丈夫」と返される。学校に行きたくないと言ったときに、「楽しいこともあるよ」で終わる。
大人は励ましたくて言っている。でも子どもからすると、「この苦しさは、ここでは受け取ってもらえないんだ」と感じることがあります。
レジリエンスは、何でも前向きに考える力ではありません。
傷ついたときに、傷ついたと言えること。
怖いときに、怖いと言えること。
助けてほしいときに、助けてと言えること。
そのうえで、少しずつ自分の力を取り戻していけること。私は、それが本当の意味での回復力なんじゃないかと思っています。
不登校支援で見落としやすいのは、保護者の消耗
不登校の支援では、どうしても子どもに焦点が当たりやすいです。
学校に戻るのか。
別室登校にするのか。
フリースクールに行くのか。
勉強はどうするのか。
生活リズムをどう整えるのか。
もちろん、どれも大事です。
ただ私は、本当にケアが必要なのは保護者のほうという場面もかなり多いと感じています。
親の不安が強いと、子どもの小さな回復が見えにくくなる

子どもが学校に行けないと、親は不安になります。
このままで大丈夫なんだろうか。
勉強が遅れるのではないか。
将来、働けなくなるのではないか。
甘やかしていると思われるのではないか。
自分の育て方が悪かったのではないか。
その不安は自然です。責められるものではありません。
でも、不安が強すぎると、子どもの回復を「学校に行けるかどうか」だけで見てしまいやすい。
朝起きられた。
少し話せた。
ご飯を食べられた。
お風呂に入れた。
笑う時間があった。
こういう変化も、回復の一部です。
そこが見えなくなると、親もしんどいし、子どもも「まだ足りない」「まだ認められていない」と感じやすくなる。ここは悪循環になりやすいです。
親の感情が少し整うだけで、家庭の空気は変わる
親が自分の不安に気づいて、少しずつ整理できるようになると、子どもへの関わり方は変わります。
監視ではなく、見守りに近づく。
指示ではなく、対話が増える。
正論ではなく、まず気持ちを聴けるようになる。
「学校に行くかどうか」だけではなく、「この子はいま何を感じているんだろう」に目が向きやすくなるんですよね。
子どもを無理に変えようとしなくても、親の不安が少し落ち着くだけで、家庭の空気が変わることがある。その変化が、子どもの回復の土台になることは少なくありません。
家庭の中で本当に必要なのは、正しさより安心して話せる空気

子どもにとって大切なのは、完璧な親ではありません。
いつも笑顔の親でもない。
まったく怒らない親でもない。
不安を一切見せない親でもない。
そうではなくて、
感情が揺れても、向き合おうとする大人。
間違えたら謝れる大人。
本音を少しずつ言葉にできる大人。
子どもの問題を、子どもだけの問題にしない大人。
そういう大人の存在が、子どもにとって大きな安心になるんだと思います。
物理的に近くても、心が孤立していることはある
同じ家にいる。
毎日顔を合わせている。
ご飯も一緒に食べている。
それでも、心が孤立していることはあります。
本当のことを言ったら怒られる。
心配をかけるから言えない。
どうせ分かってもらえない。
ここでは弱い自分を出せない。
そういう感覚が積み重なると、物理的には近くても、心の距離は離れていきます。
だから家庭の中で本当に必要なのは、正しさを並べることよりも、本当のことを言っても大丈夫だと感じられる空気なんじゃないかと思うんです。
つらいと言ったときに、すぐ励まされるのではなく、まず受け止めてもらえること。
怖いと言ったときに、「大丈夫」と急いで打ち消されるのではなく、「怖いよね」と置いてもらえること。
そういう小さなやりとりの積み重ねが、子どもの安心感をつくっていきます。
最後に
ここまで書いてきましたが、もちろん、すべてを家庭の問題として説明できるわけではありません。
いじめ、発達特性、精神的不調、SNS上の孤立、学校環境、地域資源の乏しさ。個別に見立てるべき要因はたくさんあります。
ただ、それでもなお、家庭の空気が回復の土台に関わることは多い。私はそこを外したくないと思っています。
2025年6月には自殺対策基本法が改正され、こどもに係る自殺対策について、社会全体で取り組むことが基本理念に明記されました。学校の責務や関係機関の連携も、これまで以上に重視されています。文部科学省「自殺対策基本法の一部を改正する法律の公布について」 e-Gov法令検索「自殺対策基本法」
制度は必要です。
相談窓口も必要です。
学校や地域の支援体制も必要です。
でも、それだけでは届かない部分がある。
日常の中で、子どもが「本当のことを言っても大丈夫」と感じられること。
親自身も「自分の感情を持っていていい」と思えること。
大人同士が、正しさだけではなく、本音を整理し合えること。
そこからしか育たない安心感があります。
子どもの自殺が増えている今、私たち大人に問われているのは、子どもをどう管理するかではなく、私たち自身がどれだけ本音で生きられているかなのかもしれません。
子どもに、ただ「生きて」と言うだけでは足りない。
大人がまず、自分の感情を取り戻していくこと。
家庭の中に、安心して話せる空気をつくること。
ネガティブな感情も、人間らしさの一部として扱えること。
そこから、子どもたちの回復力は育っていく。私はそう思っています。

