毎日子どもたちと関わる中で、ふと立ち止まって考えることがあります。「この関わり方で本当に良いのだろうか?」「子どもの将来にとって、今の私たち大人の対応は役に立っているのだろうか?」そんな疑問から始まった今回の考察を、皆さんと共有したいと思います。
10代という複雑な成長段階を理解する

10代の子どもたちは、人生で最も劇的な変化を遂げる時期にいます。身体的な変化はもちろん、精神面でも「自分は何者なのか」「将来何になりたいのか」という根本的な問いと向き合っています。エリクソンの発達理論でいう「自我同一性vs役割混乱」の段階ですね。
この時期の特徴として、抽象的思考ができるようになる一方で、感情調節能力はまだ発達途上にあります。前頭前野の発達は20代前半まで続くため、感情の起伏が激しく不安定になるのも自然なことなのです。
人間関係においても大きな変化があります。親からの心理的自立が始まり、同世代との関係が人生の中心となります。「みんなと同じでありたい」という同調圧力と「個性を発揮したい」という相反する気持ちの間で揺れ動く、そんな複雑な時期なのです。
実際、この時期に不登校や対人恐怖、適応障害が急増することも統計的に明らかになっています。文部科学省のデータでは、中学生の約5%、つまり20人に1人が不登校という状況です。
「優しさ」という名の回避が招く問題
ここで考えなければならないのが、私たち大人の関わり方です。子どもが困難な状況に直面した時、多くの親や教育者が「優しい対応」を心がけます。
「合わないなら学校に行かなくてもいい」
「無理していく必要がない」
「子どもの個性を伸ばすためにできることを探そう」
これらの言葉は確かに子どもの心を一時的に楽にします。でも、実はこれらが長期的には子どものレジリエンス形成を妨げている可能性があるのです。
我が家でも、長男が9歳の時に深刻なメンタル不調と不登校を経験しました。2024年2月、コロナによる1週間の欠席をきっかけに、自律神経失調症状が現れ始めました。朝になると「気持ち悪い」「だるい」「めまいがする」「頭が痛い」と訴え、やがて対人恐怖にまで発展し、「人と関わること自体が怖い」と口にするようになったのです。
この時、私は息子の苦しさを表面的になだめるのではなく、グッと深く向き合う選択をしました。「自分の話を誰も聞いてくれない」「自分なんていなくてもいいんだ」「変な奴って思われている」「軽く見られている」といった息子の心の奥にある恐怖や無価値感と、リカバリーセラピーを通じて丁寧に向き合ったのです。
最初は「困ってることなんてない」と言っていた息子でしたが、回を重ねるごとに心の奥にあった「他者への恐怖」「自分への無価値感」を少しずつ言葉にできるようになりました。セッションの中で話せた後は、不思議と同じ記憶を思い出しても嫌な感覚が消えていく。この「感覚の書き換え」が進むにつれ、息子の体調も整い、4か月後には登校を再開できたのです。その後転校することになって新しい人間関係を築くことに恐怖心はあったもののそこも乗り越え、親友もできました。
そして重要なのは、自分の気持ちを伝える力、物怖じせずに意見を言える力、「どう思われるか」を過度に気にせず素直に思っていることを言える力が身についたことです。
もし私が「学校に行かなくてもいい」「人との関わりが怖いなら避けていい」という表面的な優しさで息子を包み込んでいたら、根本的な認知の歪みはそのままになり、対人関係の構築に大きな影響が出ていたことでしょう。時には、子どもの苦しさと真正面から向き合う強さが、私たち大人には必要なのです。
表面的解決が生み出す悪循環
一方で、多くの場合はこのような根本的なアプローチが取られず、表面的な対応に留まってしまうことが多いのが現実です。「学校に行かなくてもいい」と言うことで、確かにその瞬間の苦痛は和らぎます。しかし、学校という環境で感じた「人との関わりの困難さ」「集団の中での自分の位置づけへの不安」「完璧でない自分への嫌悪感」といった根本的な課題は何も解決されていません。
そして時間が経つにつれて、「社会復帰への不安」「同世代との差への焦り」「将来への漠然とした恐怖」という新たな問題が積み重なっていくことが多いです。
この問題の構造は、大人になってからの行動パターンにも影響します。
例えば、すぐに仕事を辞める、退職代行を使う、SNSで愚痴をつぶやくけれど本人には直接言わない。など。
これらは自分のストレスを緩和する行動にもなりますが、困難な状況や対立から逃げる回避行動の延長線上にあるのではないでしょうか。
現代社会の「回避文化」への危機感
退職代行やSNSでの間接的な意思表示は、現代の若者世代に顕著に見られる「直接的な対話や対立を避ける」傾向の表れです。これらは一見、ストレスを軽減する便利な手段に見えますが、実際には人間関係の基本スキルである「相手と直接向き合う力」「自分の気持ちを適切に伝える力」「建設的な対話を通じて問題解決する力」を奪ってしまっています。
このままでは、メンタル不調は増え続けるのではないか。私はそんな危機感を抱いています。
困難な状況から回避する
→一時的な安心感を得る
→根本的解決力が低下する
→より大きな困難に直面する
→さらなる回避行動。
この悪循環が続くことで、社会全体の問題解決能力が低下していくという状況が想像できます。
大人の認知の歪みと価値観の押し付け
一方で、私自身も深く考え込んでしまうことがあります。「乗り越える力が大切」という私の価値観も、一種の認知の偏りかもしれません。時として人を追い詰める可能性もあるのです。
多くの大人が、自分が子ども時代に経験した辛さを子どもに味わわせたくないという思いから、極端な関わり方をしてしまうことがあります。でもそれは、実は大人自身の未解決なトラウマや認知の歪みを子どもに投影している場合が多いのです。だからこそ、表面的な症状なのか、根本的な認知の問題なのか、どの段階の課題と向き合っているのかを意識しながら、関わり方を考えることが大切だと思っています。
過保護・過干渉パターン
「この子に辛い思いをさせたくない」という思いから生まれる関わり方です。
- 「学校でいじめられるかもしれないから、習い事も控えめに」
- 「失敗して傷つくくらいなら、最初からやらない方がいい」
- 「子どもの宿題を親が代わりにやってしまう」
- 「友達関係で嫌なことがあったら、すぐに環境を変えてあげる」
これらは一見優しさに見えますが、「競争は悪いもの」「失敗は避けるべき」という考えが、子どもの競争心や向上心、そしてチャレンジする機会を奪ってしまいます。
スパルタ・過要求パターン
一方で、「自分は厳しく育てられたから強くなれた」「甘やかしてはダメ」という価値観から生まれる関わり方もあります。
- 「泣いても甘えても、自分でやりなさい」
- 「みんな同じように頑張っているんだから、あなたもできるはず」
- 「逃げることを覚えたら、将来困るのはあなた」
- 「できるまで何度でもやり直し。諦めは許さない」
こちらは「困難に立ち向かうことが正しい」「頑張れば必ず報われる」という思い込みから、子どもの今の状態や気持ちを置き去りにして、過度なプレッシャーを与えてしまう可能性があります。
両極端の共通する問題
興味深いことに、過保護も過要求も、根底に同じ問題を抱えています。どちらも大人の価値観や過去の体験を基準に、子ども個人の特性や発達段階、今置かれている状況を無視してしまうのです。過保護は「この子には無理」という前提で困難を取り除き、過要求は「この子はやればできる」という前提で困難を乗り越えさせようとします。
善意から出た行動が、かえって子どもの成長機会を制限してしまったり、必要以上に追い詰めてしまったりすることがあるのです。大切なのは、その子の今の状態に合わせて「何が必要なのか」を一緒に考えることなのかもしれません。
もしも全てが「ふわっと」した世界になったら

では、全てが「ふわっと」「やさしく」「傷つかないように」配慮された世界になったとしたら、どうなるでしょうか。
表面的な関係性は増えるかもしれませんが、深いつながりや真の理解が生まれにくくなるかもしれません。困難に向き合う機会が奪われることで、人類全体の問題解決能力や創造性が低下する可能性もあります。スポーツでも、限界を突破した先の成長や、達成感、充実感などもあるので、一概に傷つかないようにすることだけが正解なのか疑問に思います。
量子力学の「重ね合わせ」の概念のように、善悪、正しさと間違い、優しさと厳しさは同時に存在し、見る人・それを捉える人の角度や文脈によって異なる面が現れます。完璧な答えを求めることより、より良い関わり方を模索し続けるというプロセス自体に価値があるのかもしれません。
真のレジリエンス育成に必要なこと
では、どのような関わり方が子どもたちの真のレジリエンス育成につながるのでしょうか。
まず大切なのは、表面的な問題解決ではなく、その背景にある感情や認知パターンを一緒に探ることです。以下のことを子どもと一緒に考えてみるという時間が大切になってきます。
- 何が起きた時に、どんな感情が湧いたのか?
- その時、頭の中でどんなことを考えていたのか?
- その考え方は絶対的なのか?他の見方はないだろうか?
- どうしたら次回はより良い対応ができるだろうか?
私が事業で大切にしているのも、この「認知の歪みに気づき、より柔軟で現実的な考え方ができるようサポートする」ということです。表面的な症状ではなく、その人の思考パターンや価値観に寄り添いながら、より生きやすい考え方を一緒に見つけていくのです。
具体的に育みたい3つの力
子どもたちに身につけてもらいたいのは、以下の3つの力です。
自分で繰り返す問題に気づく力
メタ認知能力とも言えます。「また同じパターンにはまっているな」と客観視できることで、初めて変化の可能性が生まれます。
違和感を言語化する力
「なんとなくモヤモヤする」を「具体的に何が、なぜ気になるのか」まで言語化できると、対処法も見えてきます。これは認知行動療法の基本スキルでもあります。
感情にフォーカスする力
感情は身体からの重要な情報です。不快な感情を避けるのではなく、「この感情は何を教えてくれているのか?」と向き合えることが成長につながります。
子どもたちの支援では、
①感情を受け止める
②事実と解釈を整理する
③新しい視点を育てる
子ども自身が「選べる」状態に戻していくことが大切なのではないでしょうか。
まとめ:10代の発達課題と対人関係構築の重要性

考えれば考えるほど、簡単な答えは見つからないのが現実です。でも、その複雑さこそが人間や社会の本質なのかもしれません。
特に10代という発達段階を考えると、対人関係の構築の仕方がより重要になってきます。この時期は「自我同一性vs役割混乱」の段階にあり、同世代との関係が人生の中心となる時期です。親からの心理的自立を図りながら、友人関係を通じて社会的承認を得ようとする、そんな複雑な発達課題に向き合っています。
だからこそ、この時期に「困難な人間関係から逃げる」ことを学んでしまうと、その後の人生において対人関係のレジリエンスが育ちにくくなってしまいます。退職代行やSNSでの間接的コミュニケーションに頼る大人が増えているのも、10代の時期に「直接的な対話や対立を避ける」パターンを身につけてしまった結果かもしれません。
逆に、この時期に適切なサポートを受けながら対人関係の困難さと向き合い、「自分の気持ちを伝える力」「相手の立場も理解する力」「建設的な対話を通じて問題解決する力」を身につけることができれば、それは一生の財産となります。
私たちにできることは、一人ひとりの複雑さと可能性を信じ、簡単な答えに飛びつかず、丁寧に向き合い続けることです。そして、自分自身の認知の偏りにも常に気づいていることが大切です。
子どもたちは本来、驚くべき適応力と創造力を持っています。私たち大人の役割は、その力を信じて、必要な時にサポートすることです。困難から守ることではなく、困難と向き合う力、特に人との関わりの中で生じる複雑な感情や状況に対処する力を育てることなのです。
完璧な答えがなくても、一歩ずつ、より良い関わり方を模索していけば、きっと道は開けてきます。そして10代で身につけた対人関係のスキルは、その子が大人になってからも、豊かな人間関係を築く基盤となっていくでしょう。
大丈夫。子どもたちの無限の可能性を信じて、長い目で見守っていきましょう。

